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ココ・シャネルとは2014/07/30更新

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ココ・シャネル Gabrielle Bonheur Chanel

「20世紀で最も影響力の大きい女性デザイナー」と賞賛されるココ・シャネル。シャネルは現代女性のためにリラックス感あふれるエレガンスを創り出した。仰々しいコルセットとくどいディテールをはねつけ、オートクチュールにカジュアルな息吹を吹き込んでファッションに革命を起こしたのだ。

 

生い立ちからみるココ・シャネル

ガブリエル・シャネルは1883年、フランスのペイドラロワール地方ソーミュールにある救貧院で生まれた。赤貧の田舎者カップル、ジャンヌ・ドゥヴォールと甲斐性無しの行商人アルベール・シャネルの5人の子供の1人である。母・ジャンヌは「路上生活、貧困、絶え間ない妊娠」によって消耗し、1895年に結核で命を落とした。アルバートは小さい息子たちを孤児院に置き去りにし、そしてそのまま姿を消したのである。孤児院に着いたシャネルはひどいショック状態に陥り、以後孤児院で過ごした5年間に時折反抗的な態度を取ったが、これは父親に捨てられた心痛をやりすごすためだったととらえている。後に彼女は当時の心の傷に触れ、「私は全てを奪われて死んだのよ。12歳でそう実感したわ。人生で死ぬのは1回だけじゃないのよ」と感情をむき出しにして語った。

孤児院のしつけは厳格を極め、作業がうまくいかなかったり下手だったりすると尼僧はすぐに叱責した。50年後、『ニューヨークタイムズ』の記者はパリの豪奢なアトリエで手縫いのスーツを仕上げるシャネルを目撃している。「私がうまくピン留めしたのに、あなたが縫ったら台なしになったわ!」と金切り声を上げ、何時間も傍で根気よく働いていたプルミエールを解雇したのである。

 

ココ・シャネルが与えた影響

ココ・シャネルがブランドを立ち上げてからわずか4 年後の1917年、彼女はヨーロッパと米国の両方で知られる存在になっており、その服は『ヴォーグ』の仏・英・米国の各版で取り上げられた。『ヴォーグ』は誌面でシャネルを「ジャージー生地の支配者」と呼び、男性のアンダーウェアに使われるのが普通だった生地をオートクチュールという洗練された領域にまで高めたと評した。これだけでも素晴らしい功績だったが、それだけではない。シャネルによる「スマート」なフロック、カーディガンスーツ、そして「大きなポケットを備える、ゆったりしたロングコート」がコルセットの衰退を後押ししたのだ。きつく締めつけるコルセットなしでは着られない凝った服とは対照的に、シャネルが用いたジャージー素材は開放的だった。巧くドレープさせると2番目の皮膚のようにセンシュアルに体になじみ、また無駄のないデザインは、最新の自動車を運転したり、開業間もないパリの地下鉄メトロポリタンに乗ったりする、自立し始め活動的になった女性達にもあつらえ向きだった。シャネルならではのイージーエレガンスは、彼女の服の代名詞となった。しかしジャージー素材でシャネルが起こす奇跡の陰には、しなやかすぎる生地を洗練された衣服に仕立てるための技術的な苦心があった。「ずいぶんと泣きました」と、シャネルのプルミエール(作業長)として針子たちに指示を出していたマリー=ルイーズ・ドレは打ち明ける。「マドモアゼルは要求が厳しいんです。フィッテングがうまくいかないと激怒しました。絶対譲らなくて─容赦ないんです。でもデザインはセンセーショナルでした─シックなのにとてもシンプルで」。『ヴォーグ』でも取り上げられたポケットについて、作業服の便利で機能的な特徴を取り入れたのはハンドバッグを持ち歩かなくても済むようにするためだとシャネルは説明した。

 

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